8月に公開された「君の名は。」が爆発的な大ヒットを記録しています。
僕自身も先週見に行って、結構良い作品だったなと思ったのですが、こういう大ヒットを記録した作品に対して「何が面白いのか分からない」って言っちゃう人がいるんですけど、それって才能がないだけだと僕は思うんですよね。
人生は楽しんだもの勝ち
人生ってどんなに苦しんで生きても、どんなに楽しんで生きても、みんな平等に死という結末が待っているんですよね。
そう考えたら、絶対に毎日楽しんで生きている人の人生の方が充実しているじゃないですか。
もちろん、人生の楽しみ方って人それぞれで、ゲームや読書、映画鑑賞、スポーツ、音楽(ライブに行くとか)、などなど、余暇の過ごし方は多種多様だと思うんですけど、一番人生が楽しめる人って、「これら全てを楽しいと思える人」だと思うんですよ。
あなたの周りにもいませんか?何やっても楽しそうにしている人。
僕はこの、「何やっても楽しめる人」って人生を充実して過ごせる才能がある人だと思うんです。
「何が面白いのか分からない」って言ってる人は才能がない
それでですね、絶対に人気がある作品や音楽とかなんでも良いんですけど、それに対して「何が面白い(良い)のか分からない」って言っちゃうのは、自分に才能がないって公言してる事になるんですよね。
例えば、夏と言えばロックフェスだと思うんですけど、音楽は好きだけどフェスに行かない人の中に「フェスは音楽好きじゃなくて馬鹿騒ぎしたい人が集まるところ」みたいな批判する人いるじゃないですか。
でも、実際に音楽が好きじゃないとしても、フェスに行って馬鹿騒ぎして楽しめる人と、そうやって批判して家にいる人だと、前者の方が楽しい時間を過ごしているんですよね。
映画だってそうで、「君の名は。」を見て面白いと思えた人、泣けた人は、その映画を見た時間を有意義な時間を過ごせていますが、「何が面白いか分からなかった」と言っている人では、映画上映中の二時間の充実度に大きな差がありますよね。
いや、もちろん好き嫌いはあると思いますけど、「何が面白いのか分からない」って公言しちゃう人って、恥ずかしい事だって分かってないのかなと。
「みんなが面白いと思っている作品の面白くない点を公言する事がカッコ良い」とか思っているのかもしれないですけど、何もカッコよくないですし、やっぱり多くの人が面白いと思っている作品を楽しめないのは可哀想ですよね。
楽しめない理由って人それぞれ何かしらひっかかるものがあってのめり込めなかった背景が絶対にあって、(それで楽しめなかったから余計に意固地になってたりするんだけど)でその引っ掛かった部分が何なのか他者と比較することは結構重要だと思う。なので楽しむ才能がないで片付けるのはどうかな。
まあ、その人がどういう理由でつまらなかったって述べずにただつまらないだけ言ってたなら確かにイラっとするけど。
その主張も仰る通りですね。
僕はその上で、どんな作品にも良い部分と悪い部分はある事を理解しつつ、それでも楽しめる人は才能があると思うんですよね。
とても分かるけれど、頭空っぽにして楽しむ才能がないってことが恥ずかしい事っていうのは主観でしかないような気もする
相手を考えずに、いちいち楽しめなかったとか言っちゃうのが恥ずかしい事なんだと思います
もちろん、僕個人の主観ですね。個人ブログですし。
面白いと思っている人がいるのにも関わらず、何が楽しいか分からないとか発言しちゃうのは恥ずかしい行為ですよね。
わたしはわたしがつまらないと思うものに時間を使わずに、たのしいと思うものに時間を使って楽しんでいます。人生は有限です。
そういう事を言っている訳じゃないんですよ・・・。
斜に構えてるのがダサいと言いたいようだけど君の名はを引用したことで伝わりにくくなってますね。
君の名はを見て素直に面白く無かったという意見があるのも自然なことだし、「多勢=正」は成り立たない。多勢が面白いと思うものを理解できないという人を短絡的に才能が無いと纏めてしまう迎合思考のほうが、オツム足りてないなってなりますよ。
君の名はを見て面白かったと思うなら貴方の貴重な意見ですが、それを人に押し付けるのは個人の趣向に対して少しおこがましすぎですね。
そんなこと言いながら私はこの映画とても楽しめましたけどね。
「多勢=正」とかそういう話をしてる訳じゃないんですよね。
>>多勢が面白いと思うものを理解できないという人を短絡的に才能が無い
多勢、無勢っていうのはどうでも良くて、Aという作品を面白いと思える人と思えない人では、人生を楽しめる才能があるのは前者の方だと言ってるんです。
「「君の名は。」が面白くないだと?面白いだろうが」みたいな主張は全くもってこの文中には含まれてませんよ。
あなたは楽しめない人は才能ないよねって言いたいように
楽しめない人も楽しめなかったことに対して文句言いたい気分なだけなのでは。
斜に構えてるなら恥ずかしい行為だけど、「本当につまらない」のか「つまらないポーズをとってるだけ」なのかわからないわけで。
まあそれを公にするのがダサいって思うのは自由だけど。
確かに、多くの人が面白いと感じている作品に対して「つまらないよね」って公言してその反応を楽しんでるっていう視点は抜けていましたね・・・。
「同じ映画を見ても、楽しめる人と楽しめない人がいる」という動かしがたい現実。
人の心の多様性と直面する瞬間って感じで、面白いですよね。
>>「同じ映画を見ても、楽しめる人と楽しめない人がいる」
これは実際そうで、面白いですよね。
「つまらない」も「おもしろい」も感想としては等価値ですよ。
どちらにも良いも悪いもないです。
感想としての価値なんて話はしていませんよ?
フェスの批判は大体フェス行ってない人がするけど、この映画の批判は見ている人がしているわけで、その点は圧倒的に違うかと思います。
私は「何が面白いのかわからなかった」ので、それを公言しないで、何が面白いのかネットで探してます。その途中でこの記事にたどり着きました。
「フェスに行った上で批判してたら一緒になる」という話をしている訳ではありません。
その話はあくまで一例であり、論点はまた別の所にあります。
何が面白いのかを書いている訳ではありませんので、この記事にはその答えはありません。
その点は申し訳ないです。
読みました
たしかにその通りだと思います
私はこれまで色んなものに関心を持てず、つまんねーやつばっか、つまらんものばっかと思っていましたが本当はこんな自分が一番つまらないんですよね…
「つまんねーやつばっか、つまらんものばっか」という人、ものそれぞれ違いや個性があって、見方を変えればすごい面白い人、ものだったりするんですよね。
自分が一番つまらないなんて思う事はないと思いますが、視野を広げる、視点を変える、っていうのは大事だなと僕自身は思っています。
「みんなが面白いと思っている作品の面白くない点を公言する事がカッコ良い」とか思っているのかもしれないですけど、何もカッコよくないですし、やっぱり多くの人が面白いと思っている作品を楽しめないのは可哀想ですよね。
これ言っちゃうと、
「みんなが面白いと思っている作品だから面白い、流行に乗れててカッコイイ」とか思っているのかもしれないですけど、何もカッコよくないですし、やっぱり多くの人が面白いと思っている作品を前にならえで面白いという人は可哀想ですよね。
なんて反論できちゃうんだよね。批判する人の屁理屈って凄いですからね笑
個人的な意見として何でも面白いと言い、面白くないという意見を恥ずかしいものとし言わない人って人間味がなくて気持ち悪く、信用が置けません。人生を楽しむ才能はあるのかもしれませんが、人間としては異常ですね。
さらに面白くないと発言している人間を「才能がない」「可哀想」「恥ずかしい」と見下しているのは、どこか人として歪んでしまっているのかなと思います。
しかし、その歪みも自身の優位性を証明し、他者を見下すとても人間らしい歪みなので、僕は好きですね。
>>やっぱり多くの人が面白いと思っている作品を前にならえで面白いという人は可哀想ですよね。
「多くの人が面白いと思っている作品を面白いという人が可哀想」って本気で言ってるんですか?読み直しておかしいと思いませんでした?笑
>>個人的な意見として何でも面白いと言い、面白くないという意見を恥ずかしいものとし言わない人って人間味がなくて気持ち悪く、信用が置けません。人生を楽しむ才能はあるのかもしれませんが、人間としては異常ですね。
個人的な意見なので、そう思うならそうなんでしょうね。そこで何故信用が関わってくるのはちょっと疑問ですが。
>>さらに面白くないと発言している人間を「才能がない」「可哀想」「恥ずかしい」と見下しているのは、どこか人として歪んでしまっているのかなと思います。
歪んでるのかもしれませんね。
そもそも楽しむって別に才能ではないよ笑
だって下手の横好きなんていっぱいいるじゃん
映画とかは自分の心の中に残るものだから関係ないけど、スポーツが好きとか音楽が好きとか無能でも全然楽しめるよ笑
無能を承知で楽しむことはいいことだと思うけどね。あと、
「君の名は」は個人的にとてもいい映画だと思った。確かに面白いっていってたひとのたくさんいた。けどみんなに合わせて面白いっていってたやつも、いた。みんなが言ってることはこういうことじゃない。常に周りの意見に流されて自分の意思を持たないことにカッコ悪いって言ってんだと思う。日本人だから流行に流され安いのは仕方ないけどね
言葉の定義はそんなに問題ではない内容だと思うのですが。もうちょっと記事をしっかり読んでからコメントして頂けると助かります!
前置きとして、私はつまらなかった派です。
映画自体は楽しめなかった(語弊がありますが)ですが、なぜつまらなかったのか考察して、見た人に意見をぶつけて、思考を言語化して楽しんでます。
周りの人には迷惑な話ですがw
本文を読んで少しひっかかるったのが、
「何が面白いのかわからない」
と言っていることを、恥ずかしいこととしていることです。少数派の意見を数の力をもって辱めることはつまらないことだと思います。なぜつまらないのか、何が面白いのか、議論をしていけば新しい視点が見れると思います。
と言うことで、つまらなかった人の話も面白いかもよという提案です。
コメントありがとうございます。
そうですね、何が面白くて何がつまらないのか議論したらもっと面白い事になるかもしれないですね。
例えば学園祭などでみんなが楽しんでる時に水をさすような行動は慎むべきですが、有料で公開されている作品に対する批判をする権利は誰にでもあってしかるべきですよ
大ヒットしてるとか、みんなが面白いと思ってるとか関係ないんです
仮に自分が楽しいと思うならそれで良いし、批判なんて気にする必要もないし
批判する人を恥ずかしいって言葉で人格攻撃する必要もないです
そういうのは、自分で作品の価値を判断出来ない人の劣等感の現れに見えますよ
>>大ヒットしてるとか、みんなが面白いと思ってるとか関係ないんです
はい、関係ないと思います。
「大ヒットしてるからつまらないと言うな」という話をしている訳ではありませんし。
>>自分で作品の価値を判断出来ない人の劣等感の現れに見えますよ
そうですか・・・。
「なんでも楽しめる」というのは素晴しいことですが、「才能」でくくるものではないと思います。また「これは楽しくなかった」という感想を持つことも「才能がない」でくくることではないと思います。
あとおまけで
「そういうことを言ってるのではない」と上のコメントの返信でところどころ書いてますが、そもそもほとんどの読み手が違う解釈をしてしまう文章なんじゃないですか?
プロブロガーを目指すなら文章力をがんばって磨いてください。
>>「なんでも楽しめる」というのは素晴しいことですが、「才能」でくくるものではないと思います。また「これは楽しくなかった」という感想を持つことも「才能がない」でくくることではないと思います。
ちょうど良い単語がなかったので、便宜上「才能」という単語を使ったに過ぎません。
>>「そういうことを言ってるのではない」と上のコメントの返信でところどころ書いてますが、そもそもほとんどの読み手が違う解釈をしてしまう文章なんじゃないですか?
コメントを全て読んで頂ければ分かると思いますが、そもそも記事全文を読まずにコメントしていると思われる方もいらっしゃるので、解釈うんぬんの問題ではない場合もあります。
プロブロガーの定義がどこにあるかは分かりませんが、例え文章力がなかったとしても、これだけ反応をもらえる記事を書ければ十分ではないでしょうかね。